私たちの歴史
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創成期
満州事変が始まる1年前の1930年(昭和5年)現在の清水区島崎町で肥料商竹原商店創業。
「和を尊ぶ。自分が捨て石になる自力本願の経営」創業者竹原一吉の信念であり、今なお我が社の社是として残る言葉である。 -
躍動期
1959年(昭和34年)経済の飛躍と共に個人商店から法人化。配合工場清港製肥所(株)を村松に設立。自動計量包装機を増設し、昭和37年の年産4,000tからたった2年で年産12,000tを突破。時の代表は2代目竹原耕治。
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飛躍期
1993年の冷夏による米の不作により市場は大混乱、電気店のコメ販売に大行列。時間20トンを可能にした配合工場を4,000坪の敷地に建設。県内外の旺盛な需要に応える。3代目竹原君子から4代目竹原和宏へ。
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連繋期
創世期に続き、東京オリンピック開催の年に完成した都田工場。
新型コロナ感染によるパンデミックが発生して2年経過。あらゆる価値判断に変化。歴史で培われた配合技術と新しい配合技術を連繋。過去から未来へ会社を繋ぐ。5代目遠藤天之、6代目荒川浩太郎、7代目水谷久美子を経て8代目水谷和敬へ。
今までも、これからも。
私たちは持続可能な農業を支え、
食べる幸せを追求します。